ハッピーシュガーライフ(アニメ)の感想と考察(ネタバレあり)

 前回のネタバレなしの感想に続いて、ネタバレありの感想と考察?を書いてみます。 ネタバレなし版はこちらを…

siratama-z.hatenablog.com

 

※2021/1/12追記

アニメは出来がよいと思いましたが、原作完結後の特別読切を読んでひどく不愉快な気持ちになったので、もうこの作者の作品は読まないと思います。読切の感想等は別記事で書くかもしれません。

 

 

1話-砂糖少女は愛を食む

 最初はニコニコ動画で見たのだが、コメントが荒れてて非常に残念だった。半年ROMれって言葉をこれほど使いたいことはなかった。あと鬼滅がどうたらってコメントが非常に多く、愉快犯なのか素で頭おかしいのかは判断できなかったけど、まあ質の低いこと…それはニコニコ動画のせいかもしれないし、作品がそういう客層を呼び込んでいるからかもしれない、まあいずれにしても(コメントは)私の肌には合わなかった。

 で、1話の感想としては、ネタバレなしの方にも書いたけど、とにかくしおちゃんの声優さんがすごかった、よくこんな声出せる声優さんがいたものだと思った。(私が知らないだけなんだけども) しおちゃんの声はハッピーシュガーライフの異常性を際立たせているように思えた。別の意味で犯罪的で、本当に声優さん(ひいてはキャスティング)ってのはすごい仕事をするなあとしみじみ。

 スカートの下からカメラで録画しているとき、もしカメラの角度が30度曲がっていたら、非常に貴重な映像が撮れていたと思うと非常に悔やまれる。三星くんをなぜ何日もあそこで監禁したのか(できたのか)ということについては疑問が残るけど、そこまでは気にならない。

 さとちゃんはしおちゃんを後ろから抱くことが多い。個人的な感覚では、これはものすごく犯罪臭がするのだけど、どうなんだろうか。というのは、後ろから抱くということは、相手の顔を見ることに重点が置かれていない、ということである。つまり抱ければ(触れれば)それでよい、という発想から、後ろから抱くのである。あるいは、顔を見られたくない、という意味もあるかもしれない。しおちゃんが子供だからある程度許容されているだけで、やはり後ろから抱く、という行為には何か意味がありそうな気がする。ちなみに僕がさとうだとしても、やはり後ろから抱きたいと思う()

 この時点でさとうとしおちゃんの関係は、百合ではないように思う。本当は百合かもしれないが、一般的な感覚であれば、親子や姉妹の関係の方がそれに近いと感じるのだろうと思う。それはしおちゃんを「物を知らない子供」と思うことに起因する。この認識はおそらく作者の意図通りで、この時点ではさとうですら独善的な、つまり一方的な愛の対象としかしおちゃんを見られていないように思う。今後のストーリーの展開で、それがどのように変化するのかを見届けてほしい、というメッセージが込められているように思った。

 最後の一室のワンシーンで、それまでのふわふわあまあまな空気感を微塵も残さず視聴者の不安に駆り立てるのはすごい。この辺がミステリーとサスペンスの中間と感じる。唯一問題があるとすれば、ここでかかるBGMが、伝説の四八(仮)のバッドエンドのBGMと非常に似ているのである。と思ったけど、改めてきくとそうでもなかった。でも出だしの雰囲気がすごい似てるので是非聴いてください()

 

2話-しおの箱庭

 2話はとにかく北埋川先生のターン、私はものすごく北埋川先生の気持ち(の一部)が分かる。本命が2人以上ってのは分からないけど、スリルを味わうためにあえて危険な道に飛び込むってあたりが、平凡な生活をつまらなく思ってそうで、非常に好感がもてる。

 それにしても「入学式からずっと見ていました」のくだりは、絶体絶命都市2の辺見先生を思い出して草生えてしまう(↓動画)

 さとうの北埋川先生を追い込むとき、玄関の前で前をはだけたサービスシーン、ものすごくいいと思います(`・ω・´) でも北埋川先生は、よくあの行動の意図するところを察知してうまくかわしたなあと感心。私なら慌てふためいて「ま、松坂さん↑何してるんですか↑」とか裏返った声で静止しようとして逆に奥さんにバレてしまいそうだ。

f:id:siratama_z:20210106021501p:plain

ハッピーシュガーライフ2話より

  このシーンから北埋川先生調教までのシーンは原作よりもアニメの方が過激で、なかなか制作陣の気概が感じられました。

 しおちゃんは相変わらずかわいいけど、しおちゃんにも訳ありの過去がありそうな描写。1話、2話と、さとうとしおちゃんがどうやって出会って、どうやって今の関係性を保っているのかについては説明がない。これらが回を追うごとに、少しずつでも描写されていく、というのが、信頼できる作品ということになる。言うなれば伏線をきちんと回収してくれる作品がよい作品だと思う。私はあまり漫画は見ないが、最近だと進撃の巨人(最近でもないか)は信頼に足る作品だと思う。伏線などがなくても、世界観がきっちり決まっている、その世界に自然に入っていけるような作品はよい作品だと思う。

 すーちゃんってからかい上手のなんとかさんに似てるけど、版権は大丈夫だろうか() この子もかなりえっちなので好き。

 ちなみに北埋川先生に処分をお願いしたゴミ。普通に処理するのはけっこう大変そう(しかも中身を見ずに)。北九州監禁殺人事件では、人の死体を処理するときは佃煮の要領で細かくくだいて団子を作ったりペットボトルに入れて、海に捨てる、といったことが書いてあった。まああまり深く考えるところではない…

3話-モノクロームの長い夜

 この話はさとうの「(感情を)制御するには理解しないと」という言葉に共感しすぎた回でした。だから私は今こうして感想を書いています。ハッピーシュガーライフという作品を理解して、この物語に対する感情を制御するために…まあ全然理解できていないのですが。

 そろそろ太陽くんのガチロリ(という言葉では生ぬるいか、ガチペド)の行動が目立ってきた。気持ちは分かる。いたいのいたいのとんでいけーってしてくれるしおちゃんは本当に天使。

 1話でもあったけど、3話でも7話に向けたミスリードが仕組まれている。ミステリーが好きな人は初見でも気づいてしまうのだろう、私は何回も見てようやっと気づいた。というのはエレベーターのシーンで、少なくとも3階よりも高い階へ移動していることが示唆されている。この構成は計画的で、しかも視聴者に対して誠実な、正統派の謎かけではないかと思う。なのでこの作品はミステリーではないかと思うのである。

 ぼちぼちしおちゃんのお母さんと思われる人物の幻影が存在感を見せる。原作ではこのキャラの掘り下げ回もあったが、正直、何のために存在するキャラなのかが私には分からない。これが私がもやっとする原因の一つ。しおちゃんから決別されるために存在しているように見える。このキャラの結末としては決して幸せではないように見えるし、あさひも救いようのない不幸な道に落ちているようにも見える。この話は最後に改めてするとして、なんというか、悲しいお話ですねっていう結論以外に辿り着けないのが悲しいし、あきらめもつかない、というのが本音。全ての人間が救われる必要はないと言われてしまえばそれまでだが、その辺の気持ちの整理が未だにつかない。

4話-砂糖少女は気づかない

 さとうつよい。さとうがしおちゃんを連れていくところを太陽くんが見て、それをしょうこに話し…といった具合に物語が少しづつ展開されていくのは心地よい。

 しおちゃんを家に入れた後、家に外鍵を設置するさとうを見て、やはり北九州監禁殺人事件を思い出す。何かしたの事件にインスパイアされたりしたのだろうか…外に鍵をつけるというのは、近隣住民からするとかなり不自然に見えそうだ。(実際前述の事件でもマンションの一室に南京錠が何個も掛けられている異様な扉だったらしい)

 ここけっこうがっつり揉んでて草。

f:id:siratama_z:20210106030522p:plain

ハッピーシュガーライフ4話より

5話-罪の味、罰の味

 原作通りの話なのだけど、ミスリードを誘いたいのか、非常にオチが不愉快で納得のいかない回だった。なので特に言うことはないかと思ったけど、すーちゃんがえっちだったのでヨシ!この子に関しては、百合と言ってもよい気もする。

 で、さとうがしおちゃんに告白したくだりが個人的には全く理解できない。この話必要かって思う。好意的に解釈すれば、自分がしおちゃんを裏切るような(愛に背く)行動を取ったことを懺悔する必要があったのだろうと思うけど、それそんなに溜める必要あった?と思ってしまう。要するに、そこで深刻な態度をとっているということは、「もしかしてしおちゃんに人を殺したことを告白するのか?」と視聴者にミスリードさせたかった(実際そう思った人は少なくはないのだろう)のだと思うが、あまりにも馬鹿馬鹿しすぎた、というのが正直な感想。それでもさとうの気持ちが分かる人、またハッピーシュガーライフの世界を理解している人は「いや、さとうがそれを告白することは本当に勇気のいることなのだ」と納得できるのかもしれないが、今の私はまだその境地には立っていない。そもそもすーちゃんにそういうことする前にもう少し躊躇うんじゃないの?しおちゃんに会う前に躊躇うんじゃないの?と思ってしまうわけで、要するにミスリードさせるためだけにこの告白が用意されたのではないかと思うと、さすがに冷める。(※個人の感想ですぞ)

 この感想を書くのにもう一度見返しているけど、やっぱり唐突感があっていまいちしっくりこない(お前の知ったことかと言われればそれまで)。ここでしおちゃんに許してもらっているけども、自分に都合の良い解釈で逃げていることには変わりがないのと、自分は他の何人も一度たりとも許さない姿勢を貫いているので、結局普通の考えでこの話を解釈してはいけないんだという結論に達する。でも視聴者の多くは普通の考えしかできないのでは?と思うと、もう少しましな展開はなかったのかなあとは思う。まあ詮無きことだし、じゃあお前アイデア出せと言われても出るはずもなく、本当に言ってもしょうがないことだった。

 それはいいとして、しょうこが太陽くんの家にお邪魔するシーン、なんとうらやましい。ほんとしょうこちゃんの制服とふとももと白ソックスは反則。前から分かっていたけど、しょうこちゃんはこの世界での数少ない常識人枠。それゆえにこの世界を生きるにはつらい… ここで太陽くんからさとうとしおの関係を仄めかされたことで、しょうこちゃんのバッドエンドが確定してしまったのだと考えると、太陽くんがガチペドなのが悪いのだと思うが、それってさとうが太陽くんを振ったのが元凶だと思うと…あれ…?さとう許すまじ……いや、さらに遡れば、しおちゃんがさとうと出会ったことが遠因で…いやさらに遡るとその原因を作ったのはあさひ…? いやこの話やっぱり救いようがないわ……

f:id:siratama_z:20210106034713p:plain

ハッピーシュガーライフ5話より、しょうこちゃん

6話-私たちは、月の周りを回っている

 何やら暗躍する北埋川先生、ある意味視聴者に最も近い立場ともいえる重要な役割を演じているように思う。それにしても、中身も見ずにゴミを処分するかっていうのはいくら忠実な下僕でも苦しい気もするが、そういうところを突っ込むのはナンセンスだと思うのでキニシナイ!

 それよりもしょうことあさひのおねショタイチャラブ餌付け生活が始まっていた!ほんとかわいい。

f:id:siratama_z:20210106040119p:plain

ハッピーシュガーライフ6話より、しょうことあさひ

 この世界ではいくらかわいくても幸せにはなれない結末が待っている、という事実がやるせない…「そういう話だから」で済ませられない感情がある。特にこの二人についてはそう思う。この二人の共通点として、家庭環境に大きな差はあるものの、行動原理としては常識的である、つまり視聴者が普通の理解で納得しやすい、ということがあるように思う。

 しょうこは6話で、さとうの本心を知りたいと思い、それは多分普通のことのように思われる。公式ファンブックにも、しょうこは「普通の女子高生っぽい感じ」を目指した、と書かれている。(余談だが、公式ファンブックは私にとって心の傷を僅かながら癒してくれる必読書となっている。特にしょうことあさひの結末に対するもやもやを僅かだが解消してくれるのは、作者である鍵空とみやき先生の心配りがあるからこそだと思う。) 

 一方であさひの行動原理は家族、つまり母さんとしおと3人で幸せに暮らすことで、こちらも行動原理としては普通に感じる。行動そのものは家庭環境の影響で常人の理解を超えるかもしれないが、行動原理は常識的なのである。

 この二人が出会い、関係を紡いでいった結末は皆様がよく知る通りだが、視聴者が理解しやすいキャラの結末が、原作もアニメも、どう解釈しても救いようがない、という事実が、キャラが好きであればあるほどやるせないのである。もちろんそうは思わないって人も多くいそうで、そういう人の方がこの作品を楽しめているのかもしれない。でもやっぱり好きなキャラに僅かばかりの救いがほしいなと思うのは、きっと普通のことだと思いたい。その救いを本当に僅かに与えてくれるのが公式ファンブックだということでした。

 6話はあさひに勇気づけられたしょうこが、さとうとの距離を一気に詰めようとして、さとうがしょうこを家に連れていこうとするところで終わっている。この時のしょうこの状態は、

  • 太陽から「さとうがしおを連れて行った」という情報を得ている(半信半疑)
  • あさひがしおを探していることを知っている

ということだけど、そのしょうこがさとうに対して距離を詰めていった理由は、やはりさとうとの関係を深めたいという一心だったのだと解釈している。つまりあさひがしおを探していることはまだそんなに重要視されていないように思う。何よりまだその程度しか情報をもっていないので、そう判断することは妥当だ。つまり、「状況がまだ分からないが、さとうの様子がおかしいことは分かる。もし困っていることがあるなら、親友として力になりたい」と判断したのは自然なのだと、そう思う。しかし家に連れて行かれた先で起こることが想像をはるかに超えていたため、その後の判断に迷いが生じたのではないかと。まあだいぶ好意的な解釈だということは重々承知の上で…

 一方で、この相談を受けたさとうとしては、本心で「友達を失いたくない」と思っていたに違いない。もしここでしょうこが引き下がっていたら、どういう展開になっていただろうか…もしそれでしょうこに何かしらの幸せが訪れるのだとしたら、この話は「中途半端な勇気をもつべきではない」という教訓を得ることになるのだろうか…そもそもこの作品に何かしらの教訓を求めることが間違っているのかもしれないが、今の私はどうしてもしょうこがこの作品に登場した意味を求めたい困ったちゃんなのだ。

 そもそもしょうこからの相談を受けたとき、さとうは「本当のことを言うよ」としょうこに言った。しかしこれが「嘘」に対する「本当」ではないことは、結局さとうが詭弁を用いてしょうこを避けた、とみることもできる。(さとうを悪者にしたいわけではないのだが、しょうこをどうにか救う解釈を得たいのである) それは次の7話の話題になる。

7話-砂糖少女の原材料

 物語の転換点となった7話だが、原作で言うと4巻に相当するというからびっくりした。(アニメは全12話、原作は全10巻なので、アニメのペースがかなり遅いことになる)

 さて、さとうの家への道すがらのさとうとしょうこの会話は、本当に友人同士の会話そのものだ。特にさとうからしょうこに「友人」だと切り出しているこの会話は、この後の展開とのギャップを作り出すための演出だろうか…会話だけ聞けば自然な会話だが、家で何をするつもりだったのかを考えると、さとうとしては本当にしょうこちゃんを信じたかったのかもしれない…言っても詮無いことだが。

 前回から暗躍する北埋川先生が大活躍。作者の渾身のミスリードが炸裂?したと思う。(私は見事ひっかかった) ところで、原作では北埋川先生がさとうとしょうこの会話を聴いて「教師としては喜ばしい事です」と感慨に耽っている。よい先生ですね()

 さとうの叔母の初登場、存在感が強烈で、得も言われぬ雰囲気を醸し出している。警察に対して「嫌です」って堂々と言える、そんな人に私はなりたい(尋問不可避)

 鍵の付いた部屋に警察が入ろうとしたとき、さとうが何かを言おうとしたのは、何を言うつもりだったのだろうか? 実際、中には見られて困るものはなかった(それはさとうも分かっているはず)ので、さとうが口を挟む必要はなかったのだが、叔母さんのフォローに回るつもりだったのだろうか、どうやって? 大した話ではないが、叔母さんとの関係性を考えると不思議な感じがした。

 結局この出来事によって、しょうこは少し混乱し、さとうはしょうこに「それでも私の友達でいてくれる?」と問いかけ、それに対してしょうこが目をそらしたことが決定的に二人を分かつことになった…というのがストーリーだが、いくつか疑問がある。

 6話でさとうは「本当のことを言うよ」と言っていたが、「本当のこと」とは叔母さんのことなのか?であれば、普通そういう言い方はしないのではないかと思う。別に叔母さんがいることは隠してはいなかったはずだ。あえていえば「叔母さんの愛し方が特殊であること」だが、それを「本当のこと」として話す感性はいまいちわからない。大っぴらにいうことではないが、そもそも話題にしないはずのことだからである。つまりよく話題になることを避けていて「本当のことを言う」なら通じるが、そもそも話題になりえないことを披露することを「本当のことを言う」と表現するのか?ということは疑問だ。別に何か答えをもっているわけではないが、違和感は残った。

 上記の疑問は晴れて、しょうこと別れた後「久々に痛かったの思い出しちゃったなあ」という台詞から、さとうが幼いころは友達と叔母さんを会わせていたのではないかと考え、「痛い」思いをしなくてすむように叔母さんを友達から遠ざけるようになった、と考えれば自分の中で腑に落ちた。つまり「本当のことを言う」というのは「叔母さんの家に招く」という意味で、そんなに違和感をもつほどではないかと思った。叔母さんの家といいつつ、それは一般的には自宅ということで、さとうにとっての「本当のことを言う」というのは「私の本当の家庭事情を知ってもらう」でもまあ意味は通るのかなあと。(でもたまたま警察がいたから叔母さんの異常性を目の前にしたけども、しょうこちゃんだけならそこまででもなかったのでは…?)

 次に、「それでも私の友達でいてくれる?」という問いかけに対してなぜしょうこは目をそらしたのか。イメージでは「馬鹿さとう!そんなの当たり前でしょ」と言いたかったことが示唆されているが、それをためらった理由って何なんだろうか。叔母さんがどういう人であれ、それは目の前のさとうに既に体現されているわけで、その事実が今分かったところで目の前の人間は変わらない、と思ってしまうが、それは普通の感性ではないのかもしれない。叔母さんがしょうこの判断を誤らせるほどに強烈だったのか、あるいは叔母さんは関係なく、真に問いかけられたときの心の準備ができていなかったのか…いずれにしても、ここのしょうこちゃんにはあまり共感ができなかった。とはいえ即答を求められるのは厳しいかなあ……即答しなければただのバイト仲間というのも極端な気もするが、だったら先にラインを踏み越えてくるな、と言われればそれまでか。ただ、これがしょうこにとって予想していないことだった、ということは要素として小さくないと思う。(理由は前述の通り)

 最後に、この問いかけに対して「馬鹿さとう!そんなの当たり前でしょ」と言えていたら、どういう展開が待っていたのだろうか。おそらくさとうはとても喜んだに違いない。だが、喜んだ後「じゃあしおちゃんに会わせてあげる」とは120%ならないだろう。「しょーこちゃん、ありがとう!これからも友達でいようね!またね!」といって会話を切り上げるのではないかと思う。しかししょうこはそもそも「さとうの家にしおがいる」ということを半信半疑ながら思っている状態なので、その切り上げには食い下がるかもしれない。食い下がると、7話がいきなり9話に飛んでしまうかもしれない。残念ながらその危険察知能力はしょうこちゃんにはない…そう考えると、どの展開になったとしても、しょうこの未来は明るくはない、という結論になってしまう。

 私の平凡な想像力では、例えば…

しょうこがいったんこの場を引き下がる

できるだけさとうを刺激しない方法で、しおちゃんとの接触を果たす(無理)

さとう、しお、こしょうしょうこが3人で安定的に存在できる状況を作り出してから、あさひとさとうの両方の説得を試みる(絶対無理)

しおちゃんがさとちゃんもお母さんも両方大切な人だという結論に達する(無理)

全員生存ルート

みたいなことしか思いつかないが、「それどこがハッピーシュガーライフなん?」って訊かれるとぐうの音も出ない。結局この物語の鍵はしおちゃんにあり、その情報から一番遠いしょうこには救われるストーリーはなかったということかもしれない…でもビジュアルノベルとしてゲーム化して、鬼ムズの全員生存ルートってのは悪くない…悪くなくない…? まあとにかく、この7話で完全にさとうとしょうこの関係が壊れてしまったことは残念この上ないのでした…

8話-1208号室

 裸Yシャツ!!!!!えっちなことしたい!!!!!!!以上

f:id:siratama_z:20210106060831p:plain

ハッピーシュガーライフ8話より

 じゃなくて、この画家は聖人かって思ったけど、狂人だったってオチ。画家のお兄さんとの会話の演出は素晴らしい。欲を言えば最後の文字も不要だったのではないかと思うけど、文字がないと私みたいな人が理解できないから仕方なさそうだ。

 「どこか欠落している彼女が好きなのだ」という感覚は分かる気がする。平和だとつまらないっていう感覚と同じ?(違うか)

 結局画家のお兄さんが先に手を出したんだから、この件については正当防衛という見方もできる(第3者の正当防衛って成り立つのか…?)けど、まあ随分自由勝手に振る舞うねえという感想をもつ。それは多分普通の感想だが、さとうにとっては当然の行動なのだろう、それは分かる。しかしその行動を取った上で愛を語ることが許されるのかは、個人的にはなんとも微妙な気持ちになる。というのは、この作品ではそれが最終的には許されたように思うからである。それが結論で本当によいのか、という気持ちになる。それは最後にまた考えるし、ずっと考え続けることになるだろう。

9話-融解レイン

 はあ…見るたびに悲しくなるけど、しょうこちゃんがえっちなので相殺される感じの話です。マジレスすると「School Days」の一番有名なシーンに引けをとらない惨劇を見事に描き切ってくれた、衝撃的な話です。

 さて、しょうことあさひの最後の会話…そう出会った回数も多くないであろう2人がある種の信頼関係を築いているのは、あさひの非日常性が少なからず影響しているように思う。この会話の中で、しょうこは太陽があさひにしおの手がかりを教えていることに気づいている(分かりづらい文章だ)。このときしょうこは何を考えていたのだろうか?

  • 太陽はさとうがしおちゃんを連れて行ったと言っていた
  • 太陽はあさひにしおちゃんは○○にいると言っている(○○はしょうこには分からないが、少なくともさとうの家ではないことは分かる

この2つが矛盾しないための結論として、太陽が何らかの目的であさひに嘘の情報を伝えている、と気づいた可能性がある。だからしょうこはあさひを止めたのかもしれない。しかししょうこには確証はなかったので、あさひに詳しい情報は教えなかったのかもしれない…

 ここで、しょうこが「太陽がさとうがしおちゃんを連れて行ったと言っていた」という情報をあさひに伝えたら、どうなっていただろうか…?いやどう考えてもBADENDぽいけど…それが本当だと仮定して、太陽の言っていることに矛盾があることにはすぐ気づく。そしてしおちゃんはさとうの家にいるはずだ、となる。しかしそれは305号室ではない、ではどこだ? その手がかりを知るはずの叔母さんのところへ向かい、叔母さんはしょうことあさひの愛を目覚めさせ、おねショタイチャラブの愛の営みが生まれていたかもしれない…そしてその後1208号室へ向かい………うん、どう考えてもBADENDっぽいけど、人が死ぬルートは回避できるかもしれない……でも多分さとうとあさひのいずれかが死ぬんだろうな…原作ではさとうはかなり武闘派で躊躇なくナイフであさひの心臓を狙っていた(と思う)ので、勝敗の鍵を握るのはしおちゃん…でもこうなるとストーリー通りさとうに分があるので、結末は変わらなさそうだ、うん。

 しょうこは行動の選択肢をいくつかもっていたが、結局あさひとさとうを両てんびんにかけたような対応をとってしまったように思う。個人的には自分により近い存在となったあさひに依ったような気がする。だからこそあさひを送り出した後、太陽の動きを確認し、さとうがしおと一緒にいるという確証を得てから305号室へ行った。

 余談だが、305号室へ行ったという事実は、原作ではまさに「23rd Life 融解レイン」で示唆される。アニメでは11話つまり叔母さんに協力を求めるところで示唆される。個人的にはアニメの方がぞくっとくるよい構成だと感じた。アニメ全体を通じて、読者に考えさせる仕掛けが随所に散りばめられており心地よい。仕掛けがたくさんあるのは原作もそうなのだが、さらに練られているように感じた。

 305号室でしょうこと叔母さんがどんな会話をしたのかはアニメでも原作でも明らかになっていない(と思う)が、私は叔母さんに本心を話したのだと思う。例えば「あさひはしおを探している、さとうはしおと一緒にいる。私はあさひもさとうも大切にしたい、だからさとうの居場所を教えてほしい」とか(文才も想像力もなくて申し訳ない…) 叔母さんは7話で「たった一人の王子様、見つかるといいわね」としょうこの求める愛を見抜いており、また叔母さんにとってしょうこは(なぜかは分からないが)お気に入りであったとも思われる。また11話ではさとうからのとんでもない依頼にも応えてくれており、しょうこが本気で訴えることができれば、1208号室のことを聞き出すことはできたと推測する。

 しょうこはなぜカメラでしおちゃんの画像を撮ったのか、アニメで言えば出てくるのを待ち構えていたということになるし、原作で言えばさとうの後をつけていたということになる。(原作はちょっと不自然だと思う、あの障害物のない通路で、さとうが周りを確認した上で鍵を開けていて、その間にしょうこがあの距離を詰めるのはかなり厳しいのではないか) そしてその画像を間髪入れずあさひに送信した… メールアドレスを交換したことになっているが、おそらくLINE的なものも交換していると思う(作品上LINEとは言えまい)ので、送信自体はそんなに時間がかかるものではないと思われるので、そこの不自然さは感じなかった。しかし画像を撮って連れ込まれるまでの数秒であさひに画像を送信する判断は、最初にそうすると決めていなければ難しいように思う。つまりとっさの行動ではなく、計画的な行動のように見える。

 …もしかして、最初からこうするつもりでしょうこはあさひと連絡先を交換したのか…?

 しょうこが1208号室に連れ込まれて、さとうと最後の会話を繰り広げる。その内容はアニメでは分からない。しかし原作(5巻)及び公式ファンブックではある程度分かるようになっている。これは知っているのと知らないのとでは非常に大きな差が生まれるように思うので、アニメにも是が非でも盛り込むべきだったのではないかと思う。しょうこの主張は「しおちゃんを帰すべき」ということだった…… やはりこれは、さとうよりもあさひのことを想った末の行動に見える。さとうが友達でなくなったとは絶対に思っていない、しかしその言葉がさとうに届くはずもなかった…さらに「警察には言わない」という言葉は、それは今のさとうには絶対に届かないだろう、というのは外野の意見。それでもしょうこはもがき、結果としてさとうからの信頼を得ることはできなかった…

 結局のところ、しょうこがさとうの世界を理解できなかった、ということに尽きるのかと思う。それは理解できなくて当然で、当事者ではないのだから。しょうこはその他大勢には勝ったが、しおには負けた、ということなのだろう。それが全ての世界…

 最後に「しょーこちゃんはあの時、私を拒絶したじゃない」という言葉、本当にこれが不信のきっかけとなっているのか、とってつけた言葉なのか……ある見方をすれば、しょうこが選択を誤った結果とみることもできるし、別の味方をすれば、しょうこの愛が未成熟だった結果とも言える。要するにしょうこがいい悪いとか、そういう括りでは語りたくないなあと。いい悪いって言い出したらこの世界のことはだいたい悪いことになってしまうので、それはtrivialではないかと。だからなんとかしょうこがこの作品に存在した意味を、解釈を与えたいと思い、ずっと考えています。

 特別EDテーマの「カナリア」はとてもこのシーンに合っていて、曲の前後も込みで非常に美しい。カナリアというと炭鉱のカナリアのイメージで、この小鳥がしょうこを指すのだとすると、1208号室すなわちさとうはしょうこにとって有毒だった、という解釈もできるが、それはあまりにも悲しい…

 ここでさとうの手に残った傷痕は、最後まで描写されることになる。それは当たり前かもしれないけど、丁寧な仕事をしてくれているなと思う

10話-星空のプロポーズ

 あんまり興味がわく話ではないので特に書くことはない、と思ったが、あった。

 1話を見たときから、さとうのしおに対する愛が独善的だと思っていたが、その違和感に対する回答となるのがこの話だった。しおちゃんはさとうと対等の立場になることを望んだ、ということだろう。正確にはお互いを支え合う関係でいたい、と。紆余曲折を経てその関係に昇華したことで、さとうの言う「愛とは何か」というステージが1つ上がったのだろう。

 それはいいのだが、その決め台詞であろうしおちゃんの「しぬときは共犯者でいさせて」(原作6巻ママ)という言葉、これがものすごく不満だ。何回考えても不満だ。原作準拠の台詞なのに、とにかく不満だ。理解できない。

 まず、単純に「しおちゃんどこでその言葉覚えたの?」っていう疑問が出る。

 そして「しぬときは」の意味、なぜいきなり死ぬときの話をするのか?この前の「二人で戦おう」はギリギリ分かる、しかし何と戦うことをしおちゃんが想像しているのかは分からない。洗濯機の中で見た血やさとうの手の傷を見て、戦いを連想したのかもしれない、だからそれはいい。ただ、その会話の流れで「しぬときは」の仮定を随分いきなり出してくるなあという印象を受ける。

 一番不愉快なのが「共犯者」という言葉だ、本当にどこで覚えたの? 「共犯者」という言葉の意味を知っているとすれば、さとうが犯罪者である、罪を犯した人であるという認識があるということになる。犯罪者に協力する人を共犯者と呼び、犯罪者とは悪い事をした人、と解釈できる。つまりさとうが悪いことをした人、あるいはこれからする人である、という認識をもっていることになる。しおちゃんに善悪の区別がつく程度の理解があったとしても、そこから自分が共犯者になりたい、という理解に飛ぶのはかなり無理があるのではないかと思う。

 言いたいことは分かるが、言葉に違和感がある、ということである。大げさに言えば、世界観が壊れる。原作では見開き1ページでデカデカと「しぬときは共犯者でいさせて」と出している。よほど自信がある表現のようだが、私には全くそのセンスが理解できない。心の瓶が壊れかかれば出てくる言葉なのだろうか。「しぬときはいっしょだよ」でも唐突感があるが、共犯者よりはマシだと思う。チープな表現になるかもしれないが、不自然さは消えるだろう。結局この台詞をしおに言わせているところが肝なのだと思うが、いくらハッピーシュガーライフの世界でも、殺人が(感情的に)正当化される世界においても、この言葉を言わせることは私は許されないと思う(※個人の感想ですぞ)

 この話はそれが違和感ありすぎて、他がどうでもよくなるレベルだったので、これくらいで。

11話-永遠の一瞬を、貴方と。

 あさひが太陽の爪をはがさなかったのを見て、本当に優しい子だなと思う。逆に言えば甘かったんだけども…この世界は優しさに厳しい…

 叔母さんのラスボス感が半端ない…ほんと好き。さとうのロジックはかなり苦しいように見えるけど、勢いで押し切ったのだろうか。叔母さん優しい。それにしてもなぜ叔母さんはしょうこのことをそんなに気に入っているのか…これについては特に原作のラストでも感じた。

f:id:siratama_z:20210106091737p:plain

ハッピーシュガーライフ11話より

 この帽子と服装好き。逃避行の準備については、原作の方が丁寧に描写されている。特にすーちゃんのシーンは切ないものを感じた。この辺から、原作とアニメでは表現方法が少し違っているように思われるが、私はどちらも好き。全体的には、原作の方が説明や描写が細かいが、アニメは尺を縮めつつ演出を工夫しているように思われ、どちららも好きになれた。その最たる例はしょうこの扱いである。(贔屓目)

12話(最終話)-ハッピーシュガーライフ

 原作とアニメでは、放火に至る過程が異なる。決定的に違うのは、あさひが1208号室にたどり着いたのが放火前か放火後かということだろう。原作は放火前に、アニメは放火後に訪れ、そしてしょうこを見つけるのである…もう書いててつらい

 家を出る直前、さとうは偽装工作のため、しょうこに自分の制服を身に着けさせる。アニメではしょうこに冷たい視線を送られ、相対するさとうはそれを震えながら見つめ返す…ぞくっとするシーン。さとうは何を思うのか……原作も好き。救いは全くないが…

 あさひとしょうこの邂逅…アニメでは炎が燃え盛る中1208号室へ突入し、燃えていくしょうこを見届けることに…しょうことの最後の会話を思い出しながら怒りに震えるその姿は悲しすぎる。原作では放火前にこの部屋にたどり着き、目を見開いたしょうこを見つけ、そっとその目を閉じるという展開で、どちらも最高の演出。しいて言うなら炎の中を進んでいくのはちょっとかっこよすぎた(煙を吸って一酸化炭素中毒になりそう)ので、自然さでいえば原作がよかったかな、でも悲壮感はアニメの方が高かった。

 さとうとあさひとしおがついに相対する。ここで結局しおちゃんはさとちゃんを選ぶことになるのだが、正直無理ゲーすぎてあさひがかわいそうすぎる。しおとは数年(4年?)疎遠だったはずで、記憶の中に微かにしかいない実の兄と、自分を救ってくれた3ヶ月でも生活を共にした他人では、愛以前の話のように思える。さらにあさひはしょうこの死に怒りを覚えているが、あさひにとっては自分に優しさを与えてくれた大切な人であるのに対し、しおにとってはさとうが殺した、見たこともない、存在しか知らない他人ということになる。あさひの気持ちがしおに伝わる要素がこのあたりには全くなく、しおがかろうじて覚えている記憶に訴えかけるしか方法がない、絶望的な戦いだった。特にアニメはこのあたりはあっさりというか、早足だったので、あまり感慨も感動もない。原作はもう少し掘り下げているが、それでも構図としては変わらない。しお自身に残る記憶(愛)はない。こんな決まりきった勝負をさせるためにあさひとゆうなが存在していたのかと考えなくもない。この作品が救われない話だと思う理由の最たる理由は、さとうとしお以外のキャラクターが、単にその愛のストーリーの結末を導くために配置されただけに思えてしまうからだ。冷めた見方をすればそうなるし、実際それがこの作品のテーマの全てだと言っても言い過ぎではないだろう。つまらないストーリーだと言っているのではなく、救いのないストーリーだということだ。そういうストーリーだから、と言われればそれまでだが、誰に感情移入するかでそのあたりの感じ方、考え方は変わるのだとも思う。

 そして1話の冒頭のシーン、すなわち屋上からの飛び降りのシーンに移る。ここから最後まで、一切の文句はなく、私に素晴らしい読後感をもたらしてくれたことは間違いなく断言できる。

 このシーンに到達したとき、1話で問いかけられた「愛とは何か」というテーマに対する答えを心待ちにしていた。それはまだ私には分かっていなかった。1話の冒頭は次の言葉から始まった。

私は知らなかった
温もりとはどんな感じがするのか
優しさとはどういうものなのか
慈しみとは何なのか
そして何よりも
愛というものが
私には理解できなかった

でも
今ならわかる
愛とは
ようやくその本当の意味を
私は知ることができたんだ

 12話でも同じ問いかけが繰り返されているように見えるが、同じなのは前半部分だけで、後半部分が変わっている。…………愛について私が語ることはおこがましいので、言葉にはできない。そしてハッピーシュガーライフにおいても、言葉では表現されていない。それは本当の意味での、作者からの「読者への宿題」なのだと思う。それを答えを与えられなかったと捉えるか、答えを決める必要がないことを示されたと捉えるか、私は後者のように感じる。そして、それでよいと。そう思える結末だった。

 結局のところ、さとうとしおのハッピーシュガーライフは、愛に包まれた幸せなものだったということになる。これはそういう物語だった。

 原作の終わり方はさらに丁寧に描かれている。私にとっては、叔母さんの最後の言葉で少し救われた気持ちになった。後味がよいのはアニメの方かもしれない。描写が丁寧になればなるほど、この結末のさとうとしお以外の報われなさが際立ってしまうように思う。

 最も報われていないのはあさひだと思うが、とはいえ想像の余地は残る。しおちゃんが成長したとき、あさひはどのように過去を清算したのか、できたのか…それは本当に想像するしかないが、個人的には、あさひが全てを知り、納得した上で、しおとの関係性を、兄妹の関係性を保てていればよいかなあと思う。あさひは生者で、きっと強い子だ。叔母さんの言う通り「一人で愛は貫けない」ことを考えれば、あさひとしおは少なくとも同じ生活空間に存在するはずだ。あさひの愛がしおに届くことがないとしても、あさひはきっとしおに愛情を降り注ぐはずだし、その関係が壊れることはない、はず……つらいなあ…… それともしおは一人暮らしを望み、あさひとゆうなそれを承諾するだろうか…?そうなるともう何も言えない…

 しょうこの存在は何だったのか。しょうこがいなければ、よい意味でこの結末にはならなかっただろう。最終的に、しょうこのことを理解しているのはあさひしかいない。(一応叔母さんもいるが…) しおの中にさとうが残っているように、あさひの中にしょうこが少しでも残っていれば報われる、報われてほしいと思う。

 


 

 ということで、ハッピーシュガーライフの感想でした。要するにしょうこちゃんかわいいってことです。9話のしょうこちゃんのふとももは忘れません。

 私はもうすぐ円盤が届くので、その特典を楽しめる予定です。後は特別読み切りをまだ読んでいないので、それを読んで……それで、あとは鍵空とみやき先生の他作品を読めば、さらにハッピーシュガーライフという作品への理解が深まるだろうか…さらに理解したいと思う気持ちと、そろそろこの沼から抜けなければならない(仕事に支障が出る)なあという思いが半々です。とにもかくにも、素晴らしい作品に出会えてよかったと思います。改めて、鍵空とみやき先生はじめ作品を生み出してくれた方に感謝します。

 最後に、まさかここまで読んでいただいた方はいないとは思いますが、読んでいただいてありがとうございました!

 

※2021/1/7追記

人気投票ペア部門第2位の「Extra Life あさひ&しょうこ」の特別読み切りが読みたいがために月刊ガンガンJOKER 2019年10月号を買いました。もうこの話だけで、ここまで書いたしょうこの報われなさとかがどうでもよくなるくらい、最高に幸せな気持ちになれました。しょうこ&あさひ推しは必読に違いない。

さらにキャラクター部門第5位の叔母さんの読み切りもありましたが…これは本編の後日譚であり、これを読まずに本編を読んだとは言えないほど重要なピースであるように感じました。要するに、まだ読まれていない方で、本編の結末に100%満足はしていない、という方は読んだ方がよいと思います。読めてよかった。